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永平寺観光 福井のおすすめ観光名所をガイドをご案内します

ようこそ 永平寺交通へ!!

福井県はその昔、越(こし)と呼ばれていました。
その頃第26代目継体天皇がこの越の国から出ております。
645年大化の改新の時、越の国は越前・越中・越後の3つに分割されました。
宗教的分野ではその後、泰澄(越の大徳)と呼ばれるお坊様が
越前で白山浄土信仰を広げました。
又、都で迫害を受けた道元が1244年に大仏寺山の麓に永平寺を建立しました。

後醍醐天皇は源氏亡き後の北条鎌倉幕府を倒すのに足利尊氏・
楠木正成・新田義貞等に命じ戦いに明け暮れていました。

その後、室町幕府内での対立で応仁の乱になり守護職との交換条件で
朝倉氏が東軍に寝返り越前で頭角を現してきました。
それと平行して蓮如が吉崎の地に布教道場を建立し北陸一円に浄土真宗を
広める基礎を作りました。

朝倉の統治の時に足利義昭が上洛するのに手助けを願い御所に滞在していましたが 願い叶わずその後、明智光秀の手引きで織田信長の力添えを賜り将軍になりました。
その後、信長の意向で将軍を廃せられ朝倉・浅井両氏も滅ぼされました。

ところがその後、信長が指名した守護職が一向宗徒により殺害され、
それに怒った信長が1575年に再度越前に進行し、3万人~4万人ともいわれる虐殺をしました。
その後、守護職は柴田勝家に任され北の庄に築城し現在の福井市の基礎を作りました。

1582年の本能寺の変の後、秀吉と勝家との間で信長の跡目相続の件で意見が分かれ 賤ヶ岳の戦いになり勝家が敗北し、再婚のお市の方とともに北の庄で自害し、 その娘3人は秀吉に引き取られました。

さらに徳川の時代になると関ヶ原の戦いで功を上げた結城秀康が越前68万石の 城主として福井に入り家康とともに縄張りをし福井城を築城しました。

以上、福井の観光名所に関わった人物を簡単にご紹介しましたが 詳しいお話はご乗車の折に充分させていただきます。
御連絡お待ちしております。

永平寺交通(個人)
福井の観光地案内(歴史探訪)の会会長 楠 成人 090-9441-4973

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